「余裕」という名の、人生最強の保険をリサーチする。
俺は長い間、ギリギリの魔術師だった。
魔術師、というと少しカッコよく聞こえるかもしれない。でも実態は全然そんなものじゃない。ただの綱渡り師だ。しかも綱の上で半分眠りながら歩いている、そういうやつだ。
朝、目が覚めると布団の中で計算が始まる。
「あと何分寝れるか」。
これだけを考える。現場に何時に着かなければならないか。電車の時刻。家を出るまでの最短ルート。すべてを逆算して、ギリギリまで意識をベッドに縫い付けておく。起きる。急いで支度する。走って家を出る。滑り込みで電車に乗る。ギリギリで現場に着く。そして夜もまた、意識が途切れる直前まで起きていて、翌朝また同じことを繰り返す。
その頃の俺は、これを「時間を使い切っている」と思っていた。
一秒も無駄にしていない。限界まで全力で生きている。なんとなく、そういう錯覚があった。でも今になって思う。あれはただの、崖っぷちを歩き続けるギャンブルだったのだ、と。
些細な出来事が、致命傷になる
ギリギリで生きていると、何が怖いか。
それは、「普通の不運」がそのまま死亡フラグになることだ。
電車が一分遅れる。それだけで終わる。靴紐が切れる。それだけで終わる。急に雨が降る。傘を取りに戻れば終わる。鍵をかけたか不安になって確認しに戻れば、もう間に合わない。
平時なら何でもない出来事だ。余裕のある人間なら「ちょっとした誤算」で済む話だ。でもギリギリの人間にとっては、それが「詰み」になる。チェックメイト。もう手が打てない。
俺はそういう詰みを、何度も経験してきた。
そのたびに思った。なんで俺ってこんなに運が悪いんだろう、と。
でも違う。運が悪かったわけじゃなかった。俺が自分の手で、成功確率を運任せにしていたのだ。バッファがない。余白がない。何かあった時の「一手」を、最初から手放していた。そういう生き方をしていたのだ。
精神的にも、じわじわと削られる。
ギリギリで動いていると、常に心拍数が高い。常に焦っている。常に「間に合うか」という不安が頭の片隅にある。それが積み重なると、ちょっとした判断の質も落ちる。現場でのひとことが雑になる。ちゃんと考える前に動いてしまう。ミスが増える。またギリギリになる——という悪循環に入っていく。
ギリギリは、エネルギーを食う。静かに、でも確実に。
「余裕」は、余りではない
今の私は知っている、と書くと少し大げさだけど、まあ、今の俺には少しだけわかっていることがある。
時間に余裕を持つことは、時間を無駄にすることではない。
これ、意外と勘違いしている人が多い気がする。俺もそうだった。「早く着いたって、することない」「ギリギリでも結局着けばいい」「待ち時間がもったいない」——そういう計算をして、余裕を切り捨てていた。
でも違うんだ。
余裕というのは、保険料なのだ。
火災保険と同じだ。家が燃えなければ「払い損」に見える。でも家が燃えた時のために払う。余裕の時間も同じで、何も起きなければ「早く来すぎた10分」に見える。でも何かが起きた時のために持っておく。10分のバッファが、詰みを回避する一手になる。
しかも、保険と違う点がある。
余裕があると、何もなかった時にも使い道がある。
10分早く着いたら、現場を少し観察できる。今日の雰囲気を確認できる。心拍数が落ち着いた状態で、最初の一手を考えられる。深呼吸ができる。空を見上げることができる。あの空無料の時間が、ちゃんと手に入る。
余裕は、余りじゃない。余裕は、最初から組み込んでおく「一手」なのだ。
俺のギリギリ歴、白状します
正直に言うと、まだ完全には直っていない。
今もたまに、ギリギリまで寝ている。ギリギリまで支度している。「まだいける」「もう少し」「あと五分」——この言葉たちが、俺の布団の中には住み着いている。
でも、以前よりはマシになった。
なぜかというと、詰んだ記憶があるからだ。電車が止まった日のことを覚えているからだ。靴紐が切れた朝のことを覚えているからだ。あの時の焦りと、どうにもならない感覚と、現場に着いた時の胃の重さを、体がちゃんと覚えている。
体の記憶は、頭の理屈より少し正直だ。
「ギリギリにすると詰む可能性がある」という知識より、「あの朝、詰んだ」という感覚の方が、俺を動かしてくれる。
だから俺は今、少しだけ早めに布団を出るようにしている。少しだけ、である。劇的には変わっていない。でも少しだけ、確実に、変わりつつある。
小さな改善。それでいい。
ギリギリじゃないことが、人生の難易度を下げる
これだけ書いてきて、結論はシンプルだ。
ギリギリじゃないこと。それだけで、人生というゲームの難易度は劇的に下がる。
難易度が下がれば、同じ実力でも結果が変わる。同じ努力でも、成功確率が上がる。同じ俺でも、少し違う一日になる。
時間の余裕は、心の余裕になる。心の余裕は、判断の余裕になる。判断の余裕は、リサーチの余裕になる。リサーチの余裕は、正解にたどり着く確率を上げる。
全部、つながっている。
お金のことを調べ続けている俺が言うのも何だけれど、時間とお金って似ている部分がある。ギリギリで使い切ると、何かが起きた瞬間に終わる。少し余らせておくと、それが次の一手になる。余裕が余裕を生む。
余裕、という言葉の「余」は、余り、という意味だけじゃないはずだ。「余」には、余地、余韻、余白——そういう言葉もある。スペース。次の可能性のための、空白。
俺はこれからも、そのスペースを少しずつ、取り戻していくつもりだ。
たぶん、また寝坊する日もある。
でも、まあ。今日よりは少し早く、起きられるといいかもしれない。

