【2】『ギリギリ』という名の、割に合わないギャンブル。

「余裕」という名の、人生最強の保険をリサーチする。

俺は長い間、ギリギリの魔術師だった。

魔術師、というと少しカッコよく聞こえるかもしれない。でも実態は全然そんなものじゃない。ただの綱渡り師だ。しかも綱の上で半分眠りながら歩いている、そういうやつだ。

朝、目が覚めると布団の中で計算が始まる。

「あと何分寝れるか」。

これだけを考える。現場に何時に着かなければならないか。電車の時刻。家を出るまでの最短ルート。すべてを逆算して、ギリギリまで意識をベッドに縫い付けておく。起きる。急いで支度する。走って家を出る。滑り込みで電車に乗る。ギリギリで現場に着く。そして夜もまた、意識が途切れる直前まで起きていて、翌朝また同じことを繰り返す。

その頃の俺は、これを「時間を使い切っている」と思っていた。

一秒も無駄にしていない。限界まで全力で生きている。なんとなく、そういう錯覚があった。でも今になって思う。あれはただの、崖っぷちを歩き続けるギャンブルだったのだ、と。

目次

些細な出来事が、致命傷になる

ギリギリで生きていると、何が怖いか。

それは、「普通の不運」がそのまま死亡フラグになることだ。

電車が一分遅れる。それだけで終わる。靴紐が切れる。それだけで終わる。急に雨が降る。傘を取りに戻れば終わる。鍵をかけたか不安になって確認しに戻れば、もう間に合わない。

平時なら何でもない出来事だ。余裕のある人間なら「ちょっとした誤算」で済む話だ。でもギリギリの人間にとっては、それが「詰み」になる。チェックメイト。もう手が打てない。

俺はそういう詰みを、何度も経験してきた。

そのたびに思った。なんで俺ってこんなに運が悪いんだろう、と。

でも違う。運が悪かったわけじゃなかった。俺が自分の手で、成功確率を運任せにしていたのだ。バッファがない。余白がない。何かあった時の「一手」を、最初から手放していた。そういう生き方をしていたのだ。

精神的にも、じわじわと削られる。

ギリギリで動いていると、常に心拍数が高い。常に焦っている。常に「間に合うか」という不安が頭の片隅にある。それが積み重なると、ちょっとした判断の質も落ちる。現場でのひとことが雑になる。ちゃんと考える前に動いてしまう。ミスが増える。またギリギリになる——という悪循環に入っていく。

ギリギリは、エネルギーを食う。静かに、でも確実に。

「余裕」は、余りではない

今の私は知っている、と書くと少し大げさだけど、まあ、今の俺には少しだけわかっていることがある。

時間に余裕を持つことは、時間を無駄にすることではない。

これ、意外と勘違いしている人が多い気がする。俺もそうだった。「早く着いたって、することない」「ギリギリでも結局着けばいい」「待ち時間がもったいない」——そういう計算をして、余裕を切り捨てていた。

でも違うんだ。

余裕というのは、保険料なのだ。

火災保険と同じだ。家が燃えなければ「払い損」に見える。でも家が燃えた時のために払う。余裕の時間も同じで、何も起きなければ「早く来すぎた10分」に見える。でも何かが起きた時のために持っておく。10分のバッファが、詰みを回避する一手になる。

しかも、保険と違う点がある。

余裕があると、何もなかった時にも使い道がある。

10分早く着いたら、現場を少し観察できる。今日の雰囲気を確認できる。心拍数が落ち着いた状態で、最初の一手を考えられる。深呼吸ができる。空を見上げることができる。あの空無料の時間が、ちゃんと手に入る。

余裕は、余りじゃない。余裕は、最初から組み込んでおく「一手」なのだ。

俺のギリギリ歴、白状します

正直に言うと、まだ完全には直っていない。

今もたまに、ギリギリまで寝ている。ギリギリまで支度している。「まだいける」「もう少し」「あと五分」——この言葉たちが、俺の布団の中には住み着いている。

でも、以前よりはマシになった。

なぜかというと、詰んだ記憶があるからだ。電車が止まった日のことを覚えているからだ。靴紐が切れた朝のことを覚えているからだ。あの時の焦りと、どうにもならない感覚と、現場に着いた時の胃の重さを、体がちゃんと覚えている。

体の記憶は、頭の理屈より少し正直だ。

「ギリギリにすると詰む可能性がある」という知識より、「あの朝、詰んだ」という感覚の方が、俺を動かしてくれる。

だから俺は今、少しだけ早めに布団を出るようにしている。少しだけ、である。劇的には変わっていない。でも少しだけ、確実に、変わりつつある。

小さな改善。それでいい。

ギリギリじゃないことが、人生の難易度を下げる

これだけ書いてきて、結論はシンプルだ。

ギリギリじゃないこと。それだけで、人生というゲームの難易度は劇的に下がる。

難易度が下がれば、同じ実力でも結果が変わる。同じ努力でも、成功確率が上がる。同じ俺でも、少し違う一日になる。

時間の余裕は、心の余裕になる。心の余裕は、判断の余裕になる。判断の余裕は、リサーチの余裕になる。リサーチの余裕は、正解にたどり着く確率を上げる。

全部、つながっている。

お金のことを調べ続けている俺が言うのも何だけれど、時間とお金って似ている部分がある。ギリギリで使い切ると、何かが起きた瞬間に終わる。少し余らせておくと、それが次の一手になる。余裕が余裕を生む。

余裕、という言葉の「余」は、余り、という意味だけじゃないはずだ。「余」には、余地、余韻、余白——そういう言葉もある。スペース。次の可能性のための、空白。

俺はこれからも、そのスペースを少しずつ、取り戻していくつもりだ。

たぶん、また寝坊する日もある。

でも、まあ。今日よりは少し早く、起きられるといいかもしれない。

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