
夜勤の休憩時間。
プレハブの詰所に、古いパイプ椅子のきしむ音だけが響く。
財布の中身を確認しなくても、残高はだいたい脳内にインデックスされている。薄い。とにかく薄い。カードが複数枚入っているのに、なぜかいつも財布は軽いのだ。
ため息を吐き出す。
窓の外では、深夜の国道をトラックが静かに通り過ぎていく。ヘッドライトの光の筋が、プレハブの壁をゆっくりと流れて消えた。
ふと、スマホの画面に流れてきた「オリジナルグッズで月30万円」という広告が目に留まった。
最初は「どうせ嘘だ」と思っていた
そんなバカな、と思った。
在庫を抱えて、借金が膨らんで、最後は部屋が段ボールで埋まる。それが物販という地獄の入り口だと、俺は勝手に決めつけていたから。
親戚のおじさんが、昔ネット通販でタオルを大量仕入れして失敗した話を、子どもの頃に何度も聞かされた。「物を売る商売は怖い」という刷り込みが、俺の中でずっと生き続けていた。
でも、その広告の先に書いてあった言葉が、俺の足を止めた。
「在庫ゼロ、リスクなし。注文が入ってから作るだけ」
そんな魔法みたいな話が、本当にあるんだろうか。
俺は半信半疑のまま、検索窓を呼び出した。
青白い画面の光が、疲れ切った俺の眼鏡のレンズに反射する。
「オリジナルグッズ 無在庫 仕組み」
指先で、文字を叩き込む。一秒でも早く答えが知りたくて、画面が切り替わるのを凝視した。スマホの充電は、今日も残り数パーセントだ。
調べてわかった「仕組み」の正体
出てきた検索結果を片っ端から読み漁る。
SUZURI、オリラボ、STORES……聞いたこともない名前が並んでいたが、どれも「オンデマンド印刷・販売」という仕組みらしい。
簡単に言うと、こういうことだ。
俺がデザインを作る。それをサービスにアップロードして、販売ページを設定する。誰かが注文する。業者がプリントして梱包して、お客さんに直接送る。俺の手元には、一切商品が届かない。
注文が入る。業者が作る。業者が発送する。
俺がやるのは、デザインを描いてアップロードするだけ。そこから発生する「差額」だけが、俺の財布に入ってくる。
本当か?
何か裏があるんじゃないか?
俺は、さらに深くリサーチを進めた。
利益の現実と、それでも惹かれる理由
どうやら、Tシャツ一枚売って残る利益は、数百円から高くても千円程度らしい。
今の俺の時給に換算すれば、残業一時間分にも届かない数字だ。一回残業すれば確実に数千円は入るが、グッズは売れなければ一円にもならない。
これを「割に合わない」と切り捨てるのは、簡単だ。
でも、ここで俺の頭に一つの疑問が生まれた。
警備の仕事は、俺がそこに立っていないと成立しない。
グッズは、俺が寝ていても売れる可能性がある。
これは、根本的に違う話じゃないか。
労働収入というのは「俺の時間と体力を、お金に変える」仕組みだ。俺が動けば動くほど稼げるが、俺が止まった瞬間にお金も止まる。
でも、グッズ販売は違う。一度デザインをアップロードしてしまえば、俺が現場でヘルメットをかぶっている間も、誰かが商品ページを見ているかもしれない。
この違いを、経済学では「労働所得」と「不労所得」と呼ぶ。いや、「不労」というと怠けているみたいで語感が悪いから、最近は「パッシブインカム(受動的収入)」という言葉を使う人が多い。
一枚数百円でも、それが毎月百枚売れたら?
毎月数万円が、俺の財布に自動的に振り込まれる計算になる。
もちろん、百枚売るのが簡単じゃないことくらいわかっている。でも、「ゼロリスクで挑戦できる」という事実は、俺みたいな「損したくない人間」には、とてつもない魅力だった。
デザインが「できない俺」が心配したこと
ここで、俺の前に大きな壁が立ちはだかる。
デザインなんて、したことがない。
絵心があるかと言われれば、小学校の図工の時間に先生が首をかしげていたレベルだ。パソコンでイラストを描いた経験もゼロ。フォトショップもイラストレーターも、名前は知っているが触ったことがない。
どうする。
調べると、「Canva」というサービスが何度も出てきた。無料から使えて、テンプレートを組み合わせるだけで、それっぽいデザインが作れるらしい。
さらに調べると、「シンプルな文字だけのデザインが、意外と売れる」という情報も出てきた。
ロゴマークみたいな、かっこいいイラストである必要はない。「共感できる一言」や「クスッと笑えるフレーズ」を、シンプルに並べるだけで、Tシャツとして成立するというのだ。
だとしたら、俺にも……できるかもしれない。
警備の夜勤中に、ぼんやり考えていること。朝礼で耳にする言葉の断片。財布を見るたびに浮かぶ自虐。そういうものを文字にするなら、俺にだってできる気がしてきた。
「何を売るか」を考え始めた
深夜二時を回った頃。
俺は、ノートアプリに思いついたフレーズを書き溜め始めた。
「今月もあと○○円」とか、「残業したのに財布が薄い」とか、「深夜に一人でリサーチ中」とか。笑えるような、笑えないような、でも確かに「あるある」だと思えるやつだ。
ターゲットは、俺みたいな人間だ。
お金のことで悩んでいる。でも、笑いに変えるくらいのメンタルは持っている。ひとり暮らしで、夜中にスマホをいじっている。
そういう人が「わかる〜」と思って、ポチってくれる。そんな商品が作れるんじゃないか、という仮説が、少しずつ形を持ち始めた。
自分の名前やロゴが、誰かの日常の一部になる。
それは、警備の制服を脱いだあとの「何者でもない俺」が、この世に爪痕を残すための、唯一の手段かもしれない。
リスクゼロは本当か? 落とし穴を探す
「儲かる」という言葉の裏には、必ず落とし穴がある。
俺はそう思っているので、薔薇色の情報だけ集めて満足することをしない。意地でもデメリットを探す。
調べてわかった「注意点」を、自分なりに整理してみた。
まず、利益率が低い。
商品の販売価格から、業者の製造・梱包・発送コストが引かれるため、手元に残るのは多くて3割程度。薄利多売の世界だ。
次に、著作権・商標のリスク。
有名キャラクターのロゴや、他人のデザインをそのまま使うのはアウト。当たり前のことだが、初心者がやらかしがちな失敗らしく、アカウント停止になるケースもあるという。オリジナルデザインにこだわる必要がある。
そして、売れるまでに時間がかかる。
「すぐ稼げる」という言葉に騙されてはいけない。どんなに良いデザインでも、最初はほぼ売れない。SNSでの宣伝や、SEOを意識した商品説明文など、地道な努力が必要になる。
でも——
在庫を持つ必要がない。初期費用がほぼかからない。赤字になるリスクが構造上存在しない。
この三点が、俺の「損したくない」という気持ちに、強烈に刺さった。
とりあえず、やってみることにした
「儲かるらしい」という噂を、情報として知っただけで満足するのが、今までの俺だった。
調べる。面白そうだと思う。でも行動しない。気づいたら忘れている。
それを繰り返してきた。
今回は違う。
俺は、SUZURIに無料アカウントを作ることに決めた。デザインはCanvaで作る。フレーズは、自分の日常から拾う。まずは一枚だけ、商品として登録する。
それだけでいい。
売れなくてもいい。最初の一歩を踏み出すことに、意味があると思っているから。
深夜三時。
休憩終了のタイマーが鳴った。
俺はスマホをポケットにねじ込み、冷たい空気の満ちた現場へと戻る。
ヘルメットの顎紐を締めながら、心のどこかで高揚していた。
今夜だけで、俺の中で何かが動いた気がする。たった一本の広告から始まったリサーチが、「とりあえず登録してみよう」という行動につながった。
これは、小さい。ものすごく小さい一歩だ。
でも、「行動した俺」と「行動しなかった俺」の差は、一年後に大きく開く——そう信じることにした。
「儲かるらしい」という噂を、自分の財布で確かめてやる。
その決意だけが、ブーツの底を通じてアスファルトに伝わった。
岡根健作のひとりごと
無在庫物販の正体。それは「オンデマンド製造」という仕組みであり、リスク設計が根本から違う。
在庫リスクがない、という安心感。これは行動経済学でいう「損失回避バイアス」を巧みに利用している。
人間は「1万円得する喜び」よりも「1万円損する痛み」を大きく感じる生き物だ。
「得をする可能性」に賭けるより、「損をしない確信」がある方に、人は動く。
この仕組みは、俺のような慎重すぎる人間にこそ、誂(あつら)え向きの入口かもしれない。
まずはデザインを一枚、登録するだけ。
知恵を絞るのに、元手はいらない。
やってみようかな?
そう思った。
執筆:岡根健作(お金検索管理人)

