満員電車の椅子取りゲーム。「座れない側」の人間が、次に取るべき賢い一手とは?
仕事終わりの満員電車。
座りたかった。
ただ、それだけだった。
現場帰りの体は正直で、足が痛い、腰が痛い、とにかく全部が重い。
電車に乗り込んで、早く座りたい、座って目を閉じたい、それだけを考えていた。
ドアが開いた瞬間に視線を走らせた。端の席を探した。
どこでもいい、一席でもあれば、と思いながら車内を見回した。
全部、埋まっていた。
全部。ひとつも、残っていなかった。
端の席はもちろん埋まっている。真ん中も埋まっている。隙間に無理やり一人分できそうな余白もない。
手すりを掴んで、俺はため息をついた。
みんながそれぞれの席を確保して、スマホに目を落として、眠って、自分の領域を守っている。
その光景を見て、私は痛感する。
『ああ、人生は結局、椅子取りゲームなんだな』と。
この電車の中に、人生が縮まっている
改めて考えると、椅子取りゲームってよくできた比喩だと思う。
席の数は決まっている。それより多い人間が乗ってくる。早く動いた人間が座れる。
出遅れた人間は立つ。シンプルで、残酷で、言い訳が効かない。
「俺の方が疲れているのに」とか「昨日は座れたのに」とか、そういう事情は一切考慮されない。
座っているか、立っているか、それだけだ。
社会もだいたいそうだよな、と俺は思う。
いい仕事、いいポジション、いい収入——どれも椅子の数は決まっていて、速く動いた人間が座る。
速く動けなかった人間は立ち続ける。「俺だって頑張っているのに」は関係ない。
俺はずっと立ち続けている側の人間だ。
経済的にも、ずっと立ったまま揺られている感じがする。座れそうな瞬間があっても、タイミングを逃す。
踏み込めない。気づいたらもう埋まっている。それが何年も続いている。
終点まで待てばいい、という答え
電車の椅子取りゲームには、ひとつだけ確実な正解がある。
『終点まで待てば、椅子は空く』ということだ。
終点まで行けば、ほぼ全員降りる。そうすれば座れる。
どれほど強固に席を守る人も、いつかは降りる。
これは正解だ。間違いない。でも終点まで行ったら、俺の降りたい駅を通り越してしまう。
目的地に着かないまま、ただ「座れる」というだけのために終点まで乗り続ける——それは、何かがおかしい。
誰かが椅子を手放すのを待ち続ける、という戦略。
現実の人生における椅子取りゲームはどうだろうか。
定員が決まった『成功』という名の椅子。
そこから誰かが降りるのを、指をくわえて待っているだけでいいのだろうか。
今の椅子の主が疲れて降りるまで待つ。定年まで待つ。引退まで待つ。そうすれば席が空く。
でもその頃、俺の人生の終点は近くなっていないか。
終点に着いたとき、私たちの人生そのものが終わってしまっていたら、座る意味などどこにある?
座れた時には、もう降りる駅だった——なんてことになったら、さすがに笑えない。
でも笑えないと思いながら、俺は手すりを握りしめているのだった。
座れない人間の、賢い動き方
じゃあ、座れない側の人間はどうすればいいのか。座れなかった人は、どう動くのが賢いのか。
俺なりに考えてみた。
ひとつ目は、「降りそうな人の前に立つ」ことだ。
これは電車でも実際にやっている人がいる。
『降りそうな人を予測してその前に立つ』。
本を閉じかけた人の前に移動する。スマホをポケットにしまいかけた人の近くに立つ。荷物を膝から降ろし始めた人の前を確保する。微妙な変化を見逃さない。
それだけで、次の駅で座れる確率がぐっと上がる。
社会でも同じだと思う。
チャンスというのは予告なく来るわけじゃなくて、来る前に必ず「兆し」がある。
その兆しを読めるかどうかが、座れるかどうかの分かれ目なのかもしれない。
兆しを読むためには、観察するしかない。ぼーっと立っているのではなく、ちゃんと周囲を見ている人間だけが、空いた瞬間に動ける。
これは、社会における『兆し』を読み、空席(チャンス)を先回りするリサーチ力といってもいいかもしれない。
ふたつ目は、もっと根本的な話だ。
「その椅子が、本当に自分が座るべき椅子なのか」を疑うことだ。問い直すことだ。
みんなが同じ椅子を狙っているから、消耗する。
みんなが狙う同じ椅子を取り合うから、消耗する。
人気の席には当然、競争相手が多い。
体力のある人間、行動が速い人間、要領のいい人間——そういう人たちと同じ席を取り合っていたら、俺みたいなのはたいてい負ける。
だったら、隣の車両に移ったらどうか?
別の路線に乗り換えたらどうか?
そもそも電車を降りて、歩いて行ける別のルートを探したらどうか。
みんなと同じ椅子を取り合うゲームに参加し続けることが、唯一の正解じゃないんだ!
——と、ここで俺は少し興奮するのだが、じゃあ具体的にどうするんだよ、となるとまた少し黙ってしまう。
黙って、手すりを握り直す。
自分で椅子を作る、という発想
そこで、ある答えが、頭に浮かんだ。
あるいは、自分で椅子(ビジネス)を作ってしまえば?
椅子を作る。
俺がサイトを作っているのは、たぶんそれなんだと思う。
既存のゲームの椅子を争うんじゃなくて、自分用の椅子を自分で作ろうとしている。
誰かが降りるのを待つんじゃなくて、新しい席を設置しようとしている。
うまくいくかどうかは、正直まだわからない。
でも、その方向性は間違っていないんじゃないか、という気がしている。
少なくとも「終点まで待てば座れる」という戦略より、自分の意志が入っている分だけ、俺には合っている気がする。
椅子を作るのは大変だ。材料を集めて、形を考えて、組み立てて、乗っても崩れないか確かめて——とにかく時間がかかる。
でも作り終えたら、その椅子は俺のものだ。誰かに奪われない。誰かが降りるのを待たなくていい。
人生の椅子取りゲームに、たった一つの決まった正解はない。
だが、『座れないなら、座れないなりの戦略があるかもしれない』ということに気づいた者だけが、次の駅で笑うことができるのかもしれない。
電車が次の駅に着いた。ドアが開いた。
俺はまだ考えていた。このゲーム、まだまだ続く。
座れないなりの戦略で、次の駅を目指すだけだ。
私は手すりを握り直し、目の前の『椅子の主』たちを観察し始める。
このゲーム、ただ立って終わるつもりはない。

