パソコンの前では書けない、私のやりかた。
ようやく着いた。
最寄駅のホーム。ベンチに座っている。今。
全身には心地よい疲労感があるが、時計の針はまだ16時を指している。
16時。
まだ16時。これはいい。これはかなりいい。
警備員の仕事にはこういうことがある。早く終わる現場があるのだ。
そう、警備員はこれがいいのだ。
この仕事のちょっとした特権というか、恩恵というか、まあそれについては別の機会に書くことにしよう。
まあいい。
家路を急ぐ人々を横目に。
今は私はホームのベンチに座っている。
安堵感がある。かなりの安堵感がある。
でも、それだけじゃない。
俺は今、ゾーンに入っている。
ゾーン、というやつ
とりあえず、今俺はゾーンに入っている。
駅のホームでゾーンに入っている。
ゾーンという言葉を使うとスポーツ選手みたいだけど、俺が言っているのはそういうやつだ。
物書きのゾーン。
言葉が降りてくる。止まらない。次から次へと降りてくる。
書いたと思ったらまた降りてくる。
追いつくのに必死なくらい降りてくる。
スマホを持つ手が少し速くなっている。眠いのに、眠さより言葉が速い。
これが俺の特性のひとつなんだ、たぶん。
最近気づいた。というか、改めて気づいた。
うすうすわかってはいたけど、今日ここで改めてはっきりわかった。
俺は家では、あまり良い文章が書けない。
家では、良い文章が書けないのだ。
これはちょっと衝撃的な自己発見だった。
書けないと言い切るのはどうかと思うが書きづらい。
いや、なんとなくわかってはいたんだ。パソコンの前に座る、画面を開く、さあ書くぞ、となった途端に——何も出てこない。
手が止まる。頭が空白になる。ゼロ。いや、ゼロより下かもしれない。
やる気が出ない、というより、何かが詰まっている感じ。
蛇口をひねっても水が出ない感じだ。
なんで出ないんだろう、とずっと思っていた。
でも今日、その答えが少しわかった気がした。
外に出ると、降りてくる
外を歩いていると、降りてくる。
街を歩いて、人の波に紛れて、見知らぬ人たちに囲まれていると、なぜかよくわからないが言葉が降りてくるのだ。
イメージが来る。発想が来る。比喩が来る。「あ、こういうことだ」という気づきが来る。
一個来ると、それに連なって次が来る。それを書き留めると、また次が来る。
不思議と『言葉』が降りてくる。
今日も現場に向かいながら、帰りの電車の中で、ホームのベンチで——ずっと何かが降り続けている。
発車ベルが鳴っている。足音がある。誰かの会話が聞こえてくる。子どもの声がどこかから来る。電車が来て、人が乗って、また出ていく。
そういうものとそれ以外のものの刺激の全部が、なぜか俺の言葉の触媒になっているのかもしれない。
家という「静」の空間ではなく、外という「動」の空間でこそ創作が爆発する。
静寂ではなく、雑音の中で書ける。
孤独ではなく、人に囲まれた中で書ける。
これが俺のアルゴリズムなのか、と思った。特性というか。
俺という人間の、書くための起動条件がそういうふうになっているのかもしれない。
書くというか、俺は「それ」が何なのかわかっていると感じているが、まあそれはいい。
マナーが悪いのはわかっている
今現在、平日の16時に、最寄り駅のホームのベンチに座って、ゾーンに入って一心不乱におりてくる思考をスマホに打ち込んでいる。
それが俺だ。
早く家に帰れよ、という話ではある。
帰り道を急ぐのが普通の行動だとわかっている。
これはあまりマナーが良くはないであろうことは承知している。
でも、このベンチはガラガラだ。この時間、ほとんど人がいない。座っていても迷惑にはなっていない。
そして俺はここで今、家のパソコンの前では絶対にできないことをやっているのだ。
言葉やイメージや様々な発想が降りてきて止まらない。
そして俺はそれらが勿体無いから書き留めるのだ。
そのゾーンなのだ。
駅のホームでそのゾーンなのだ。
平日の16時に駅のホームでそのゾーンなのだ。
早く駅を出て家路に急ぐのもひとつだろう。
ただ駅のベンチがこの時間は空いているんだガラガラなんだだから座っているんだ。
駅のホームで「ゾーン」に入っているんだ!
勿体ないんだ!
降りてくるものが、勿体なくて、書き留めないわけにはいかない。
今書かなかったら消える。消えてしまう。
朝起きたら夢が消えているように、この言葉たちはさっきのゾーンが終わったら跡形もなく消えてしまうかもしれないのだ。
だから書く。眠くても書く。体が重くても書く。
書くというより、メモる。
降りてきたことを記録する。
これをやりすぎると手が勝手に動く。そうなったらそれはもう俺の言葉じゃなくて「それ」の言葉になる。
私はスマホを握りしめ、降り注ぐ言葉を必死に書き留める。
それが俺の創作の、唯一の方法なんだ。
創作ですらないんだ。
降りてくるものが、資産になる
降りてくるものを書き留めて、伝える。
これが俺にとって最も自然な創作だと、今日改めて確信した。
整えるのは後でいい。磨くのは後でいい。
まず降りてきたものを、鮮度が落ちないうちに、そのまま捕まえることだ。
鮮魚みたいなものだ。水から上げたばかりの言葉を、さっさとスマホに書き留める。
家に持ち帰ってから調理する。
そういう順番が、俺には合っている。
お金のことをリサーチし続けているのも、たぶん根っこは同じだ。
そういうものが全部降りてくる。
「情報」として降りてくる。
お金や人生とつながっていく。
外で見た景色、乗った電車、歩いた道、電車の席が人生の比喩になる。敷石が一歩一歩の比喩になる。ドアが2択の比喩になる。
全部、外で、現場で、動いている中で気づくことだ。
パソコンの前で考えても出てこないものが、ベンチに座ってボーっとしている時に突然来る。それが俺という人間の仕組みなんだと思う。
これを知っていると、強い。
どこにいても書ける、ということだから。どこにいても考えられる、ということだから。
現場が素材になる。通勤が素材になる。疲れすら素材になる。
書斎以外が書斎なんだ!!!
今日の俺は、絶好調だ
言葉が止まらない。
止まらないんだ。次が来て、また次が来て、書いたと思ったらまた次が来る。
眠さを堪えながら、意識の深淵から湧き上がってくるものをメモしていく。
眠いのに手が勝手に動いている。体は疲れているのに、頭の中だけ高回転している。
俺の意識が入らない。
これが気持ちいい。
この感覚を、俺は才能と呼んでいいのかどうかわからない。
才能なんて言葉を自分に使うのはなんか恥ずかしい気もする。
でも今この瞬間に限っては、俺は「これが俺の才能なんだ」と思っている。
いや、思いたい。思わせて欲しい。
才能というより能力か。
能力というより癖かもしれない。
癖というより趣味かもしれない。
パソコンの前で整えるのではない。
今、この生きた現場で、降りてくるものをそのまま伝える。それが私の才能であり、最高の快感なのだ。
今の俺は、絶好調だ。
今、16時に最寄駅のホームのベンチで、スマホを持って降りてくる言葉を書き留めている。
この『ゾーン』で掴み取った言葉こそが、何ものにも代えがたい私の資産になる。
私は今、駅のホームという名の『王座』に座っている。
王座というより玉座か。感覚的には。
仕事終わりで眠いのに止まらないんだ。
電車通過していくそばで、誰にも気づかれずに絶好調なんだ!
これが、俺の創作だ。これが、俺のやりかたなんだ。
俺に合ってるやりかたなんだ!
止まらないんだ!終わらないんだ!
手が止まらないんだ!!!
電車の発車ベルが鳴り響く中で、俺はひとりで降りてくるものを書き留めているんだ。
それが俺の創作の方法なんだ!
眠さを堪えながら、スマホに降りてくるものをメモっているんだ!そして、この降りてくるものをメモして伝えるというのがやはり良いなと感じるんだ才能なんだ気持ちいいんだ止まらなくなるんだ絶好調なんだ!これなんだ!

