
今夜、とんでもない試合がある。
ボクシングが好きな人なら、わかると思う。あの試合だ。
国内最強と呼ばれる男が、世界の四つのベルトを全部腰に巻いたまま、さらに上を目指す夜。その弟も同じ夜に世界のリングに立つ。さらにもう一人、無敗の強打者が世界への扉を叩く。
全7試合。会場は東京ドーム。チケットは完売。
誰もが見たいと思っている夜に、俺は警備の夜勤の現場に向かう。
お金がない、の正体
正確に言うと、理由は二つある。
一つは夜勤が入っていること。
もう一つは、仮に夜勤がなかったとしても、たぶん見られなかったということだ。
今夜の試合は、特定の配信サービスでしか見られない。PPVと呼ばれる方式で、一試合を見るために数千円を払う仕組みだ。PPVというのは「ペイ・パー・ビュー」の略で、要するに「見た分だけ払う」ということ。映画館のチケットみたいなものだと思えばわかりやすい。
その金額が、今夜の試合に限って言えば六千円を超える。
六千円。
俺の今月の食費の、ざっと三分の一だ。
「ボクシング PPV いくら 今日」とスマホで打ち込んで、金額を確認したのは昨日の夜だった。布団の中で、少し暗い気持ちになりながら。
六千円か、と思った。
払えないことはない。でも、払えない。
この違い、わかるだろうか。
「払えないことはない」と「払えない」の間
お金がない人間の財布には、独特の計算が走っている。
六千円あれば、一週間の食費になる。電気代の一部になる。交通費になる。
試合を見る、という行為は、それらと天秤にかけたとき、今の俺には選べない側にある。
見たい。本当に見たい。
でも、見られない。
この感覚は、贅沢を我慢している感覚とは少し違う。もっと根っこのところで、選択肢が最初からない、という感覚に近い。
お金がないとはそういうことだ、と最近つくづく思う。
欲しいものが買えない、というより、欲しいかどうかを考える前に、計算が終わっている。
夜勤に向かう電車の中で
現場に向かう電車の中、スマホで試合の情報を眺めた。
会場は東京ドーム。13時半開場、15時開始。全7試合。
メインの試合は夕方から夜にかけて始まる予定らしい。
俺が現場に着く頃、ちょうどリングに向かっている選手がいる。
東京ドームの歓声が、どこか遠くで聞こえている気がした。もちろん気のせいだ。でもそういう気がした。
会場のチケットも完売だった。
調べてみると、ライブビューイングといって、全国の映画館でも中継を見られる仕組みがあるらしい。それならもう少し安く見られたかもしれない。でも、今夜は夜勤だ。映画館にも行けない。
地上波もない。他の配信サービスもない。
完全に、詰んでいる。
スポーツを「見る」にもお金がかかる時代
少し冷静に考えると、これはボクシングに限った話じゃない。
昔はテレビをつければ見られたスポーツが、今は有料の配信サービスに移っている。サッカーも、格闘技も、野球でさえ一部はそうなってきている。
これを「時代の流れ」と言えばそれまでだ。でも、お金がない側の人間からすると、エンタメへのアクセスが少しずつ遠くなっている感覚がある。
無料で楽しめるものが減って、お金を払えば楽しめるものが増えている。
豊かさの格差というのは、収入だけじゃなく、こういうところにも少しずつ広がっているのかもしれない、と電車のつり革を握りながら思った。
負け惜しみじゃなく、本当に思うこと
ただ、これを嘆いてばかりいても仕方ない。
今夜、俺は夜勤をする。
その間に試合は進んで、誰かが勝って、誰かが負ける。明日の朝、結果だけをスマホで調べることになる。
それでも、見たかったな、という気持ちはある。
でもそれと同時に、こうも思う。
見られない夜があるから、見られる夜がありがたくなる。
いつかお金の余裕ができたとき、配信のボタンを躊躇なく押せる自分になりたい。六千円を、六千円として払える自分に。
そのためにこのサイトを書いている、というのは、少し大げさかもしれないけれど、まんざら嘘でもない。
現場に着いた。
制服に着替えながら、今夜の試合のことを考えた。
リングの上の選手たちは、今夜のために何ヶ月も準備してきた。俺には関係ない夜だけど、関係ないとも言い切れない夜だ。
なんとなく、頑張ろうと思った。
岡根健作のひとりごと
PPVって「その金額が今の自分に出せるか」だけで、仕組み自体は悪くない。
お金の余裕ができたら、好きなものにちゃんとお金を払える人間になりたいと思っている。それが今の、一番正直な目標かもしれない。

